IYC記念全国協議会は、9月10日(木)~12日(土)の3日間、会員団体の職員17名を東日本大震災の被災地に派遣し、現地の協同組合から震災復興の現状や取り組みについてのお話を伺うとともに、支援作業を行いました。
この取り組みは、「震災復興に向けての協同組合活動」をテーマに開催された平成25年度の第91回国際協同組合デー記念中央集会において、大震災の復旧・復興に向け、協同組合全国組織等が協力して実践できる具体策について協議・検討することを申し合わせとして確認したことを受け、その具体策の一環として26年度から実施しているもので、東日本大震災からの復興を支援し、各協同組合の復興支援の取り組みを学び交流することを目的としています。
初日は、宮城県漁業協同組合唐桑支所を訪問し、畠山政則運営委員会委員長および吉川弘支所長から唐桑地域沿岸漁業の復旧・復興についてお話を伺いました。「合併で経済的困難を抱えるなか、大津波は甚大な被害をもたらした。あまりの悲惨さに呆然とした日々が続き、漁業をあきらめ海から離れるという空気が支配し始めた。それにも関わらず復興できたのは、震災の時、命の次に大切な船を沖に出して守ったこと、多方面からの支援(本来ならライバルの広島のかき漁業者や遠くフランスからの支援等)を得て、いち早く海に戻ることができたからであった。かき養殖は種付けから出荷まで2~3年を要するため、もう少し海に出るのが遅れたら、家族を養うために別の仕事についていただろう。」とお話しされ、今では、品質にこだわり手間暇かけて牡蠣を養殖しブランド化しつつあり、若者が漁場に戻ってきているとのことでした。
次に、三陸海岸に関係の深い「津波」をテーマに、映像・音響・振動・送風等を組み合わせた全国初の津波疑似体験館のある唐桑半島ビジターセンター・津波体験館に立ち寄りました。
そのあと、牡蠣養殖業を営む水山養殖場の畠山重篤氏を訪問し、多岐にわたるお話を伺いました。畠山氏は、かつて赤潮の海水を吸った牡蠣の被害を目の当たりにして、海を守るためには、水源となる森を守り、水を蓄え運ぶ里(水田)や河川を守る必要があると訴え、「NPO法人森は海の恋人」を設立し、多彩な活動を行ってきました。50年前にフランスのブルターニュ地方の牡蠣が病気により壊滅的な事態に陥った時、宮城県産の牡蠣種がフランスに渡り、その危機を救った縁で交流が続いており、東日本大震災の際には、「今度はフランスが日本を救う番だ」と、ルイ・ヴィトン社から多くの支援が送られたとのこと。畠山氏から、なぜ海(漁業)において森(林業)や森と海をつなぐ里(農業)が重要なのかを具体的にお話しいただき、縦割りでなく、横の繋がりで連携して考え、取り組むことの重要性を、この協同組合間連携の取り組みになぞらえてお聞かせくださいました。
2日目は、宿舞根漁港の牡蠣・ほたて共同養殖作業場でJFみやぎ青年部顧問の鈴木芳則氏とそのご家族のご指導のもと、ほたての耳吊資材作業を行いました。前々日からの豪雨のため、予定していた作業の一部となりましたが、少しでもお役に立つよう、全員が一心に作業しました。
昼頃には雨もあがり、養殖場に船を出してくださり、牡蠣の養殖方法や生育状況を視察しました。「震災で多くのものを失ったが、こうして皆さんが関心を寄せて支援に来てくださり、普段は雨の日だと黙々と行う作業を一緒に楽しく会話しながらできるのはうれしい。一時は養殖をやめることも考えたが、皆さんからいただいた支援に応えるには、美味しい唐桑の牡蠣を出荷し、皆さんにお届けすることだと思って励んでいる。」とお話されました。
お昼は、漁協が建てた唐桑町漁師直営の復興かき小屋 唐桑番屋で、一同が目を見張るほど大きなほたての蒸し焼きをいただきました。まだ出荷の時期を迎えていなかったため、唐桑の牡蠣はいただけませんでしたが、今度は是非、味わってみたいと思いました。
3日目は、釜石地方森林組合を訪問し、高橋幸男参事から「釜石地方の森林組合の取り組み~林業による地域貢献~」と題してお話を伺いました。今年5月に開設したばかりの地元木材で建てられた本所事務所は、木の香りが清々しく、ようやく雨の上がった青空と背後の森林に映える建物でした。
全国のモデル組合に認定され、間伐を中心に安定した林業の基盤作りが出来そうな矢先の震災で、組合長を含む5名もの役職員が犠牲になり、事務所も全壊。絶望的な状況からいかに復興に取り組んでこられたかをお話くださいました。「組合の復興につながるものであれば、うちの森を自由に使え」という組合員の言葉、「故人の生きた証として一日でも早く組合を復活させ、地域の林業を復旧させて欲しい」と強く願う遺族の想い、それに全国からの様々な支援が加わって、組合と地域林業の復旧・復興への気持ちを強くしたとのことでした。地元に支えられてきた組織(協同組合)として、人口流出に歯止めをかけることも使命と考え、震災で仕事を失った人たちへの雇用創出をはじめ、森林の資源活用、次世代林業リーダーを養成する林業スクールの開設、企業研修の受け入れ等々、より多くの人が地域になくてはならない生業と思ってもらえるような地域創生モデルを目指して活動に取り組んでいらっしゃいました。
今回の支援隊に参加した全員が、震災からの復旧・復興だけではなく、さらに先を目指そうとする皆さんの熱意と行動力に感銘を受けました。また、被災地に足を運び、微力と思われることでもお手伝いさせていただくことは、私たちが考えている以上に、被災地の皆さんの復興への気持ちの支えとなっていたことに気付かされました。「仕事は軌道に乗りつつあるものの、仕事場に向かう道は震災当時のままで、帰る家は仮住まいだよ。」震災から4年半が経過していながら、被災地ではいまだに多くの課題が解決していません。気仙沼から釜石への移動中、工事中の道路に置かれた「震災復旧中」の看板の周囲には人影はありませんでした。峠を下り終えた瞬間、はるか海岸線まで見渡す限り盛土しか見えない光景が飛び込んできました。車内はとても静かでしたが、車窓から垣間見た光景は、参加した全員の記憶に残るに違いありません。これからも、被災地に心を寄せ、できることを続けていくことの大切さを改めて認識した3日間でした。
宮城県漁業協同組合唐桑支所 畠山運営委員会委員長、吉川所長からお話を伺う | 水山養殖場の畠山氏からお話を伺う | |
支援作業(ほたての耳吊り資材作業) | 養殖場にて養殖方法・生育状況を視察 | |
釜石地方森林組合の高橋参事からお話を伺う | 木の香りの清々しい本所事務所前で |